
精神症状が人をおそうとき、世界は変貌する。異界への旅が始まるのだ。そのとき〈旅立ちを阻止する〉よりも、〈一緒に旅に出る〉ほうがずっと素敵ではないだろうか。フェリックス?ガタリの哲学(「機械」!)と、べてるの家の当事者研究(「誤作動」!)に、中井久夫の「生命」への眼差しを重ね合わせると、新しいケアとエコロジーの地平がひらかれてくる! これまで交わらなかった三者による、発見と生成と意外な到達点。
------医学書院HPより-------
-------村澤先生からのコメント------
この本を書くきっかけとなったのは、日高地方の浦河べてるの家ではじまった「当事者研究」での体験でした。そこでは幻聴を「幻聴さん」、精神的症状を「お客さん」と呼び、何かの必要性があるから訪ねてくるマレビトのようにもてなすことをしていました。精神的症状の原因を、心の深層や認知過程といった「内面」に求めるのではなく、どこか外からやってくるものと捉えることに衝撃を受けました。
考えてみると、私たち心の専門家は、この100年ほどの間、心の奥底に「無意識」という領域があって、そこに何かしらのトラブル(トラウマ)がある時に、「意識」の領域でも問題が起こってくると考えがちでした。心の専門家はその深層にアクセスして回復へ導くことが仕事であると。
でも、「当事者研究」にふれてからこう思いました。私たちは心の「内面」ばかりにとらわれすぎていたのではないか? これがこの本の出発点にある問いです。
浦河べてるの家のある人の例(向谷地生良『技法以前』医学書院)では、それまで悪口などの幻聴に悩まされていたのですが、幻聴が聴こえときに仲間に親指を立てて合図するということを始めたら、それが仲間との親密なコミュニケーションを回復する手段となりました。つまり、人を疎外し孤立化させるような幻聴を、聴かないように、聴こえないようにするのではなく、受け止めて「道具」として利用することにしたわけです。これによって、ひどいことをいう幻聴とも共生できるようになるわけです。
ここでは心の「内面」は問われていません。幻聴の原因が究明されるのでもなく、それとどのように共生するのかが問われます。ここには心の回復についての考え方の、革命的な転換があるように思いました。

カバー絵のクボタノブエさんのイラスト集と